少し信仰心

Dfdsdff 恐山のお寺で、ゆっくりと朝風呂に入ってから出発しました。これまでの走行距離は、1050㎞となりました。

下北半島を南下すると波穏やかな陸奥湾と、遠くに八甲田山が白い雪化粧で悠然としています。

 

Ooooo0o 車を運転しながら、信仰とは他人に強制されるものでなく、自分が求めることによって心の安らぎがえられるのではないかと思いました。

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霊場恐山

5www 日本の三代霊場は、高野山、比叡山、恐山です。

昔、高野山の真田幸村に関わりのある宿坊に泊まり、朝の祈祷に参加しました。お酒は飲んではいけないのですが、般若湯(お酒の代替えの言葉)は良いとのことで少量を楽しんで飲んだ記憶があります。

比叡山の宿坊にも泊まり、朝の東山の峰峰をめぐりました。

Bfgff_2 恐山宿泊の午前中は、下北半島の最北端の大間崎で、有名なまぐろ丼を食べました。観光案内所の人の話によると、5月の連休中は北海道がほとんど見えず、観光客は残念がっていたとのことです。

この日は快晴で、ラッキーでした。目の前に函館山と北海道の山々がパノラマのように広がり、素晴らしい風景で感動しました。

M 恐山へは、裏側から入りましたが、通常むつ市から車で約40分の山の中にあり、周辺には、全く人家がありません。カルデラのあとに貯まった大きな湖のほとりにお寺だけが建っています。1200年前から恐山の名前のごとく、生存中は誰もが近寄らなかったのでしょう

お寺には、観光客と同じに500円の入場料を払い、宿泊代は12000円でした。

7t88 恐山の周辺には八つの峰峰があり、その姿は八枚の蓮華の花にたとえられているそうです。

お寺の宿坊には乳白色をした大きな温泉風呂があります。その他に、境内には、乳白色や透明な泉源のの異なる4つの浴場があり、入場した観光客も入ることができます。

お寺の周辺には、ふつふつと熱湯がわき出している釜があったり、火山ガスが噴出する岩肌一帯は、地獄のようでした。

境内からやや離れた湖は、真っ白な砂浜で天国にたとえられています。

Dgerwwe_2 翌日の早朝は、本尊地蔵菩薩の祈祷に参加し、また、永代供養の卒塔婆もあげることができ、清貧な気持ちで下山することができました。

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見てみませんかフィヨルド

 Iuyyuu こんにちは!!!! 

 先週は忙しかったことでしょう。日曜日は、のんびりリラックスしてくださいね。

 時間がありましたら、 「北欧・森と湖の国シリーズ」にご招待します。クリックして見て下さい。

 ヨーロッパの映像をさがしている時、自分がビデオでとったような映像にであいました。

 Kuden 第一話「氷河が造りあげた大自然フィヨルド」、ヘリコプターから映る大自然のなかの赤い壁のホテルに泊まりました。きれいでしたよ。

 第二話は、フィヨルドに囲まれたベルゲンの町、世界遺産のブリッケン地区、青空市場、フロイエン山登山鉄道、ベルゲンの街が一望でした。

 

 Uou 第三話、オスロとベルゲンを約6時間でむすぶヨーロッパ一、二といわれるベルゲン鉄道の美しい風景、列車のなかでビールを買いに行きましたが、高くて買えませんでした。フロム鉄道で、867mのミュールタ゜ール駅から一気に0mへフィヨルド谷を下ります。

 第四話、フロム駅からノルウェーの四大フィヨルドのひとつソグネフィヨルドを船で観光しました。ため息の連続でした。

 

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房総でウグイスの初鳴きを聞く

 Bbdf 南房パラダイスの道の駅で、朝、目をさますと、暖かい風が吹いていました。

 フラワー道路の脇にずーと続いている菜の花が、心をなごませます。気分は最高です!!!

 海岸にでると、真っ白な富士山が、遠くに見えました。

 目の前に大きな島が見えました。三浦半島かな!、伊豆半島かな!、帰ってから調べると大島でした。あんなに近くに見えるとは、知りませんでした。大島は、まだ、行ったことがありません。

 海岸を散歩しながら、おみやげにたくさんの貝をひろいました。

 散歩から自家用車に戻ると、近くの林でウグイスが鳴いていました。房総は、春ですね。

 

 前日は、小雨でしたが君津市の近くの菜の花畑の大空で、ヒバリが、ピイチク、ピイチク、ピチピチピチーーーー と楽しげに歌を唱っていました。

  春ですね!!!   春ですね!!!!Turi 

 野島崎灯台の先端のベンチにすわると、朝日と夕陽が見える場所という表示があり、海の展望が、約270℃でした。良い気分でした。

 白鳥は哀しからずや空の青 海の青にも染まず漂ふ  若山牧水

 

 遠くに出かけることは、楽しいですね。灯台の岩場で、釣れませんでしたが、ルアー釣りを約30分し、ブレイクもできました。

 Bn_b_1 千倉の花畑には、露地でストックやポピーやキンセンカなどのたくさんの花が咲いていました。今年は、咲くのが一ヶ月早かったそうです。おみやげに、約1000円の花を買いました。大きな花束になりました!!

 房総の館山まで、自宅から片道約400㎞ありました。昼間走ると時間がかかるので、行きも帰りも、朝3時にスタートし約6時間かかり、今回は、2泊してきました。                                       

                                                                       

                            また、行きたいと思っています。Hina もうじき、雛祭りです。

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海外語学研修

 英語会話を共に学んでいるHさんが、昨年、熟年向けの語学研修&ホームステイに参加したそうです。

 JTB地球倶楽部のパンフレットによると、熟年向けのコースの滞在先は、イギリス、カナダ、アメリカ、ニュージーランドとなっています。

 ニュージーランドのクライストチャーチ15日間の滞在の経費は約40万円です。旅行代金には、航空運賃、旅行日程に明示したプログラム費用、平日は一日2食、土日は3食が含まれます。

 午前中は、英語の授業で、午後は活動としてワイナリー訪問や、美術館、フリータイム等が計画されています。

 楽しそうですね。

 

Friends wanted in English for N university classmate.

We were studyed in this class from May.  If you hope to study in English more, Whould you study to exchange topics in English, period of  6 months, in mail.

Topics and mail adress are not open except menber.  If you write a topics,  you send it all menber.  It look like KEIJIBAN nearly.  I will wait to receive your mail adress. 

I will go to class next monday, but, I will absent to have work in December.

興味のある方 いかがでしょうか。

    

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いろいろな出会い

 同級会に石川県の山中温泉へ行ってきました。

 昔、別所温泉に向かう電車の中で何年ぶりかにあう同級の仲間と、久しぶりの出会いに感動する場面に何回か出会いました。そんな折、中学校の同級会を自ら計画し、皆喜んでいましたが、1回だけで以来、開催されていません。

 今回は、大学の同級会でした。34名の同級生がいましたが、17名の同級生と、その奥さん6名の23名が集まりました。

 出席者は関東を中心に、遠くは盛岡から広島までで、石川県の同級生が幹事となりました。近況報告では、、海外旅行、家庭菜園、絵画やハーモニカ、版画などの趣味、ほとんどがリタイアし、悠々自適の生活を報告し、1時間半もかかりました。

 宴会は、あっという間に過ぎて、その後夜11時近くまで二次会で盛り上がりました。

 欠席者の話題では、ヘルニア、狭心症などの闘病生活を送っている同級生もあり、健康の重要性を改めて痛感しました。

 自家用車で行ったので、永平寺と那谷寺に立ち寄り、走行距離は約750キロメートルでした。記念に山中塗りのお椀を買ってきました。

 今朝、英語練習のため日本語の字幕の出るBIGLOBEストリームのドキュメンタリー「マンダレーに続く黄金の道」、「死の花」を見ました。

 ミャンマーの川で一攫千金の夢を求めて、毎日12時間以上も苦労して金を探す人々、一人の成功者の影には何千人、何万人という貧困と病苦にさいなまされている人々がいます。

 幸運にも金を見つけた人は、他人に話すことも無く、一番に信仰のため寺院にお金を寄付するそうです。

 また、ミャンマーの山岳の黄金の三角地帯では、老人から娘へ、そして、子供へとケシの実栽培を受け継ぎ、男性のほとんどが麻薬中毒患者となっています。個人の努力では、解決のできない現実に考えさせられました。

 同級会は、2年に一度開催されます。次回が楽しみです。

 

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海外旅行計画

 2月の日本が一番寒い時期に、ニュージーランドへ行きたいなあ。

 4年連続してヨーロッパへ旅行しました。昨年は、ベルリンの壁を見にドイツへ行こうと思ったり、ユーラシア大陸の西側スペインとポルトガルへ行きたいなあとパック旅行を選定しましたが、決断に至りませんでした。

 先月、親戚の人達との飲み会で海外旅行の話が出たとき、日本が一番寒いときに真夏であるニュージーランドへ行こうと思っているとついつい口が滑ってしまいました

 翌日になって、「嘘から出たまこと」のような感で、ニュージーランド行きを決断しました。

 現在、仕事は持っていませんので、今後少し働いてその資金を元に、定期的に何度か行けたらいいなと思っています。

 この3月から英語会話の努力をしてきたので、それほどは上達していませんが、気分的には自信を持っています。

 今回は、無理はせずに2週間、オークランドの町を散歩したり、映画を見たり、水泳などしたいと思っています。

 これまでの旅行はパック旅行でしたので申し込めば済んだのですが、現在、飛行機の格安チケットの入手方法を悩んでいますが、何とかなるでしょう。

 海外旅行は、行く前の楽しみ、旅行中の楽しみ、帰ってからの楽しみと3つの楽しみがあります。

 最後のキノコとりに行きました。9回目は、ムラサキシメジを約30本、クリタケを5株取りました。ムラサキシメジは、いつも出る場所に群生していて胸が躍りました。クリタケは株で出ていますので、見つけるととても嬉しくなります。

 キノコご飯が、おいしかったですよ。10回目は、クリタケ1株のみで今年のキノコ取りを終了しました。

 

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秋の事件簿

 最近、地方都市にも、いろいろな事件が起きています。

 付近の山々に紅葉が降りてきました。

 

 秋の夕日に照る山紅葉

 濃いも薄いも数ある中に

 松を彩るカエデやツタは

 山のふもとのすそ模様

 秋になると、この歌が好でよく歌います。今日も、散歩をしながら歌うと、心が弾んできました。

 何年か前に寄せ植えのカエデの盆栽をばらして、カエデをあちこちに植え、ちょうど今、紅葉を始めています。

 今月は、この地域でいろいろな事件がありました。

 上田市で男性がバッグをひったくられて、犯人はまだ見つかっておりません。当日は、警察官が付近に大勢聞き込みに歩いていました。

 佐久市の休耕地で上田市の主婦(42歳)が遺体でみつかりました。これは、主婦の次女が交際していた男性とその友人に刺殺されたものです。

 主婦は、当日上田警察署に相談した後、口論となり殺されました。大変残念で、悲しい出来事です。

 先月の新聞に携帯をもつ中学生は、メル友と4割がメールをしていると報道されていました。

 メル友とは、会ったことは無いがメールのやりとりをする友人と定義され、メールのやりとりをきっかけに、中学生の32パーセント、高校生の48パーセントがメル友と会っているようです。

 小諸市の小学校6年の女子が行方不明になり、公開捜索となりました。昨日、無事、容疑者と小田原署に出頭し、容疑者は逮捕されました。

 この女の子は、友人にはメル友に会いに行くと話し、午前10時頃、父親に小諸駅まで送ってもらい、午後7時頃母親と話してから行方が分からなくなった事件です。

 インターネットのブログには、この事件について様々な意見が載っています。女の子がのせたメル友募集の記事や公開捜査になった顔写真はすぐに削除されたようです。

 人間は、時にして迷うことがあります。100パーセント悪い人間はいなと思いますが、いろいろな事件を考えると恐ろしくなります。 

 秋たけなわ、菊の花も咲き出しました。先ほど、自宅の庭から黄色系を4種類、紫系を3種類、赤系が2種類、白系が2種類の菊の花を1本づつ折って、花瓶にさしました。

 花には、たくさんのハチが蜜を求めて飛び回っています。空は真っ青です。紅葉狩りにでも行きませんか

 

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キツネの恩返し

 キノコとり今年3回目はざるに一杯、4回目は背負いかごにズッシリでした。

 初めてのボランティアを終えてから3回目のキノコ取りに行きました。ある祠へ着くと、突然小さなキツネが飛び出してきて、驚きました。キツネが振り向きながら逃げていった方向へ行くと、やぶの中にアミタケが一面に生えていました。

 日本昔話のようで、楽しくなりました。Kinoko この日は、ざるに一杯の収穫でした。

4回目に収穫したキノコ、アミタケとハナイグチ(リコボウ)

 

 今年は、キノコの当たり年だと直感し、翌日は今年4回目背負いかごで出かけました。この日は、背負いかごにほぼ一杯の収穫で、こんなにたくさん取ったのは初めての経験です。いつもの一年分を数時間で収穫してしまいました。後で調整するときに数えると約500個ありました。

 昨年は干してから保存しましたが、今年は塩漬にするつもりです。

 キノコは、いつもでる場所にしか出ません。マツタケとりの専門家は決して自分以外に場所は教えないそうです。

 田舎暮らしの里山も、毎年でる場所とキノコの種類が決まっています。これまでの経験から当地では、10月10日をピークに前後2週間がキノコ取りの期間です。

 今年は、絶好調です

 急斜面で直径30センチはある大キノコを見つけました。こんな大きなキノコを見つけたのも初めての経験です。多分猛毒でしょうが、名前を調べようと収穫しました。

 持ち歩きにくいので、アミタケはまだたくさん生えていましたが、これを機に切り上げました。斜面を下りながら背負いかごの重さがなんともいえません。帰り道、畑の栗を拾いました。

 この間、黙って栗を拾ったのはキツネだったのでしょう。この初めての大収穫も、キツネの恩返しだと思いました。

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下弦の月がきれいです

 昨日またかくてありけり きょうもまたかくてありなむ(千曲川旅情の歌より)。

 夜明け前に外に出ると、長袖でも寒く感じる朝でした。前回見た月は満月でしたが、今朝は大きさが五分の一位の下弦の月でとっても、きれいに東の空に上がっていました。

 オリオン座も次第に高くなり悠然と空に位置しています。北斗七星は地平線の少し上に上がっています。

 自宅から歩いて水田地帯にでると、空全体が大きく広がり、下弦の月が益々輝いて見えました。

 空が白みかけると、コウモリが空を飛び始めました。秋になると、朝夕、コウモリを見かけることがあります。どこに棲んでいるのでしょうか。

 東には、煙を吐く浅間山が見えました。今日の煙は、真綿のように横に薄くたなびいています。

 浅間山は、全国108の活火山のうち、最も活動度の高いAランクに指定されている13火山の一つで2年前に中規模噴火を起こしました。今から約50年ほど前は活動が激しく、火山灰がよく降っていました。

 先日、テレビで、日本列島に富士山が約10万年にわたって噴出したマグマを一度にだすような「スーパーボルケーノ(巨大火山)」が幾つかあり、今起きれば日本埋没の危機になりかねないと言っていました。

 しかし、爆発する確率は、1万年に1回の頻度だそうで、杞憂することはないでしょう。

 夜が明ける一瞬、太陽から放射状にうす雲が空全体に広がり、東の空にある下弦の月が青い空を背景に神々しく輝いてから、次第に薄くなっていきました。

 蟋蟀(こおろぎ)が深き地中を覗き込む  山口誓子

 曖昧となりゆく決意みつめつつサルビアも散り秋の蛾も死ぬ  馬場あき子

 

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諏訪湖一周と蚕糸王国の崩壊

 ウォーキングで朝6時から歩き始め、12時に一周を終えました。

 諏訪大社は、諏訪湖の南側(上流)に上社の本宮と前宮、北側(下流)に下社の春宮と秋宮があり、4宮からなりたっています。出発にあたり下社秋宮を参拝し、一日の安全と健康祈願をしました。

 自家用車は、ハーモ美術館の近くの公園の無料駐車場に停めました。諏訪湖は、標高759m、周囲約16㎞で、下諏訪町、諏訪市、岡谷市の3市町からなっています。

 空は曇っていましたが湖面は青く、ほぼ半分の距離と思われる対岸の下水道終末処理場とルネ・ラリック美術館を遠く望みながら、これからの歩きに胸が躍りました。

 すぐに、諏訪湖博物館を過ぎ、北沢美術館、サンリツ服部美術館、出発時に白い湯気が高くあがっているのが間欠泉の湯気かと思っていましたが、近づくと温泉植物園の湯気でした。間欠泉センターの間欠泉は、白い湯気が数十センチ立ち上っているだけでした。

 上諏訪の湖面の繁華街は、数日後の花火大会のため、あちこちに規制のロープが張られていました。数年前、子供が岡谷市に住んでいたので、その時妻は諏訪の花火大会をみて感動し、また見たいと言いながら歩いて行きました。今回は、妻と同伴でした。

 ヨットハーバー、原田泰治美術館を過ぎて半分の距離の少し手前、ルネ・ラリック美術館で小休止をとりました。毎日歩いていたのですが、足が重く、30分の休憩をすることにより、やっと楽になりました。

 釜口水門までは道路に面していますので、朝の通勤の車が頻繁で、また歩道は通学の高校生が自転車で通過する中を、この間だけは黙々と歩きました。

 岡谷市に位置する釜口水門の近くの、小口太郎の「琵琶湖就航の歌」の碑の近くで朝食をとり、対岸の公園の芝生で、歩き慣れていない妻が疲れたようでしたので約1時間の休憩を取りました。

湖面には、高く噴水があがり、時折大きな魚が飛び上がり波紋を広げ、芝生に寝ころび、久しぶりののんびりブレイクとなりました。

 諏訪湖周辺は、蚕糸王国として戦前まで素晴らしい繁栄をしてきました。当時は、糸町として大きな煙突が千本あり、その煙で諏訪のスズメは黒かっと言われています。 

 山本茂実の『ああ野麦峠』に書かれているような「おしん」以上の苦労が、諏訪の女工にもありました。その事情を語り続けた岐阜県の故山腰清観さんは、小学生の時に「みんなが行くなら私も」と大正三年、母が夜なべで縫ってくれた足袋に草履を履いて、少女15人位で村を出発、野麦峠は雪で、先頭がもつ命綱を全員が握りしめて進んだそうです。野麦峠を越えてからも、岡谷での女工の生活は、辛いことが多かったようです。

 何年か前に、野麦峠に行く機会があり、資料館やお助け小屋などを見まが、とても辛い気持ちになりました。しかし、女工哀史に描かれた飛騨の女工の約9割は製糸工場に行って良かったと思っているそうです。悲しく辛いことは当たり前で、当時の日本の農村の貧しさの象徴であったのでしょう。

 父の話によると、昭和の初めの頃、現金が得られるのは我が家では、お蚕さんしかなかったようです。小さい頃袋に入れた繭を荷車に乗せ押しながら、祖父とともに半日かけて小諸へもっていき、売ってから食べたうどんが忘れられなかっと言っていました。

 私の小さい頃でも、どこの家でもお蚕さんを何回もはき、始めは一葉一葉づつの桑摘み、大きくなると枝付きの桑を束にして背負ったものです。お蚕さんに家中を占領され、夜中に「サクサクサク、サクサクサク」と桑を食べる音が忘れられません。

 製糸が盛んなときでも、「生死業」といわれたほどの蚕糸業は、戦後急速に減少し、長野県ではほとんどの農家が飼っていた蚕が、現在数戸となり「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」ほどの衰退に唖然としています。

 岡谷東高校の横を通り、白鳥の飛来地を過ぎ、駐車場へ12時に戻りました。歩道はほとんどが整備され、快適なウォーキングでした。通常ですと4時間程度でまわれるでしょうが今回は6時間をかけました。

 疲れをいやすために、諏訪大社下社秋宮の200mくらいの共同風呂「児湯」で汗を流し快適でした。隣は、新鶴本店で塩羊羹は有名でいつも購入します。諏訪周辺の温泉では、女工さんも入ったという上諏訪の片倉館「千人風呂」や岡谷の「ロマネット」はお奨めです。

 

 

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速歩で別所温泉

 別所温泉が、近くにあります。

 日帰り温泉相染閣の前の有料駐車場(バス及びマイクロバス)という看板のすぐ脇に、約30台は止められる無料駐車場があります。観光地へ行くと駐車場を探すのに大変苦労しますが、別所温泉も無料駐車場が分かりづらいですね。

 この駐車場に車を止めて、最初に常楽寺へ歩き始めました。

 7月19日からインターバル速歩を始め、最初の2週間は身体を慣らす程度のゆっくりした歩き、次の2週間で速歩を入れ、現在、速歩の時間が出来るだけ多くなるように歩いています。理想は、3分の速歩と3分のゆっくりした歩きをくり返すことです。

 コンピュータで打ち出された1ヶ月のデータは、一日平均約8500歩、歩行時間72分、速歩比率28%でした。現在、このデータを少し高くしようと、気を入れています。

  常楽寺は、やや高台にあり境内には素晴らしい松がありました。常楽寺から白いサルスベリが咲く遊歩道を通り安楽寺へ向かいました。遊歩道はきちんと整備され、途中に蓮の花がきれいに咲いていて、心が洗われました。

 安楽寺は、階段を上り本堂へ、さらに歩くと八角三重の塔があり、国宝に指定されています。常楽寺と安楽寺とも広い無料駐車場が、完備されており安心しました。

 共同風呂の大師の湯、石湯の前を過ぎ北向き観音へ向かいました。北向(きたむき)観音は、北向きです。南向きの善光寺に詣でれば「未来往生」、北向観音を参拝すれば「現世利益」がかなうと、両寺をお参りすると良いと言われています。

 信仰心には欠けますが、困った時には善光寺と北向観音へ何度もお願いに行きました。幸いなことに、今日まで無事に来れたのは、仏さんの慈悲があったからと思っています。

 この日は、別所温泉を2周して約8000歩でした。速歩を終えてから150円の大湯に入り、のんびりブレイクをしてきました。別所温泉には共同風呂が4軒あり、それぞれ温泉の質が異なっています。

 一昨年、白骨温泉で温泉に入浴剤を混入していた事件があり、その波紋は全国に大きく広がりました。ちょうどその頃、相染閣のお風呂へ入ると、何時もは乳白色でしたが、その日は透明でした。ひよっとすると今まで入浴剤を使用していたのかなと疑いました。

 その後、「この温泉は、天候によって温泉の色が変わります」という張り紙が張られました。以降、何度か相染閣の温泉に入りますが天候により温泉の色が、乳白色から透明に変わるのに驚いています。

 これまで入った長野県の温泉で白骨温泉の近く安曇村村営の「湯けむり館」は硫黄の匂いと湯ノ花がうき、乳白色には感動しました。また、須坂市の奥にある七味温泉も素晴らしい乳白色の温泉です。

 長野市松代にある国民宿舎「松代荘」は、鉄分が多く泥湯のような茶褐色で驚きました。いずれも日帰り入浴が可能です。

 ♪ リンクを張るとは、どういうことか分かりませんでしたが、ようやく下線の部分できました。  クリックしてみて下さい♪

 

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気絶したタヌキ

 キツネの次はタヌキを書かないと片手落ちかなと思っていました。

 朝、別所温泉に車で行く途中、道路の真ん中に毛並みの良いタヌキが気絶(?)していました。タヌキ寝入りという言葉がありますが、タヌキは外敵に出会った時ビックリすると気絶するので、このことからタヌキ寝入がついたと言われるようです。

 また、拾ってきたタヌキが気絶からさめて、逃げ出すことから人を化かと言われるとも書かれています。

 タヌキ親父といえば、徳川家康を思い浮かべますが、「人の一生は、重荷を背負うて遠き道を行くが如し」と言っています。かっては、この言葉に共感がありましたが、最近は、重荷は背負いたくない心境です。

 証城寺の狸囃子

証 証 証城寺 証城寺の庭は

つつ 月夜だ みんな出て来い 来い 来い

おいらの友だちゃ ぼんぼこぼんのぼん

負けるな 負けるな 和尚さんに負けるな

来い 来い 来い 来い 来い 来い

みんな出て 来い 来い 来い

 昔、この舞台とされる千葉県木更津市の証城寺へ行ったことがありました。

 また、馬県館林市の茂林寺へも行き、分福茶釜の話のタヌキはおもしろいですね。昨年は、滋賀県の信楽焼のタヌキを見てきましたが、小さい物から6メートルはある大きなものまで買い物客よりタヌキの数が多く、タヌキの村へ行ったようでした。

 信楽焼のタヌキの愛らしい目は、前後左右に気を配り、かわいい顔は愛想良く、かぶった傘は準備良く、手にもつ徳利(とっくり)徳をつけ、大きな腹は常に落ち着き太っ腹と、幸運を招くそうです。

 キツネは女キ゜ツネのようにクールでずるがしこいイメージですが、タヌキは少し滑稽で人間を楽しませるイメージがありますね。頭は、キツネの方が利口でしょうか。タヌキは、「他を抜く」というがんばり屋でもあるようです。

 健康的には、キツネの方が身体に気をつけているのではないでしょうか。

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ノルウェーのフィヨルドに感動

ヨーロッパ旅行で、感動が一番持続したのは、自然の美しいノルウェーのフィヨルドでした。

  コペンハーゲンから、豪華客船スカンジナビアン・シーウェイズに夕方乗って、約500㎞、16時間、オスロに朝到着する船旅は、快適でした。この船の全長は約170m、約10階で2000人が乗れるそうです。最上階のデッキに立つと、島が動いているようでした。                                                              

 船室は海側でしたので、夜中に目を覚ますと月の光で海が輝いていました。船は全く揺れないと聞いていましたが、一時、ゆっくりとローリングが感じられ、北海に浮かんでいることを実感しました。

 船内の夕食はスモーガスボード(バイキング料理)で、サーモンやエビなどの海産物やいろいろな料理が約20メートルはあるテーブルの両側に 山盛りでした。話の種にアメリカザリガニを食べましたが、それほど美味しくはありませんでした。

 オスロで1泊の翌日、ベルゲン鉄道 でミュールダールへ、さらにフロム鉄道に乗りフロムへ、途中の風景は、雄大なスカンジナビア山脈と氷河の地形が続き、そしてフィヨルドによる深く切り立った谷間におとぎ話のようなきれいな集落が見えました。 

    遊覧船に乗り、約2時間のソグネフィヨルドの観光は、感動の連続で、最高でした。ソグネフィヨルドは、世界最大のフィヨルド で、全長205㎞、最深部分約1300㎞です。 そそりたつ山々は、約1000mで頂上付近には氷河が残り、山麓は一面の黄葉でした。                      

                           

 ノルウェーの西海岸は、全域がフィヨルドで世界に類をみない大きさです。フィヨルドとは、氷河に削られたU字谷のことで、100万年前の氷河時代のノルウェーは、1000~3000mの氷河に覆われ、地面に大きな圧力がかかっていました。1万年前頃よりこの氷河が後退し、谷底を削りながら海側へ押し出され深い谷ができました。

 その日の宿泊は、スタルハイム展望台の一軒家で、この夏の宿泊の最後で私たちのツァー客だけでした。北緯60度の夕暮れは早く、星空に上がる月が幻想的でした。

 翌日は、ベルゲンへ向かう途中にあるハダンゲル・フィヨルドを数時間バスで巡りました。ソグネフィヨルドとは違いなだらかな山並みに包まれた神秘的な峡谷です。私は、断然ソグネフィヨルドに感動しましたが、妻はハダンゲルフィヨルドが良かったという感想でした。

 旅行日は、10月の第一週で、冬に入る直前でした。遊覧船の2時間は耐え難いような寒さでしたが、黄葉につつまれたフィヨルドの風景は忘れることがありません。

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広島の蝉

 初めての仕事で、広島市へ行って来ました。

 広島駅から広島城を見て、原爆ドーム、平和記念公園、さらに繁華街を通り広島駅まで約3時間歩きました。広島市は街路樹が多いですね。そして、街の至る所で

シャーシャーシャー、シャーシャーシャー、

シャーシャーシャー、シャーシャーシャーと絶え間なくクマゼミが鳴いていました。

 長野県では、クマゼミの鳴く声はほとんど聞けません。原爆ドームの前のベンチに座っていると、クマゼミの声は、戦争で亡くなった人達の声のごとく異様に感じました。セミは何年もの間、土の中に暮らし、地上に現れてからの命は、約1~2週間と言われています。

 長野県では、6月頃からチィーーーーと連続音でなく小さいニイニイゼミに始まり、

ミーン、ミンミン、ミーーン。ミーン、ミンミン、ミーーンと鳴くミンミンゼミ

ジージージージー、ジージージージーと鳴くアブラゼミ

ツクツクホーシ、ツクツクホーシ、ツクツクホーシと鳴くツクツクボウシ

カナカナカナ、カナカナカナ、カナカナカナと鳴くヒグラシは、夕暮れにビールを飲んでいるときに聞くと最高です。

 前年、山形県の山寺へ行きました。松尾芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」で有名なお寺です。かって、この歌に取り上げられている蝉の声は、せわしげになくアブラゼミか、細く澄んだ声のニイニイゼミかの論争があったそうです。

 結論は、芭蕉が山寺を訪れたのが7月13日で、アブラゼミの鳴く時期ではなく、ニイニイゼミだったそうです。そんな感じですね。

 朝、長野大学周辺へ速歩に行きました。いつもは鳴いているのに、蝉の声が全く聞こえませんでした。どうしたのかな。この周辺の蝉は、夏休みだったのでしょうか。

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浩然の気を養う

 これまで里山から、北アルプス縦走まで約40峰に登りました。 

 朝焼けの光が窓に射すのを見て、早朝外に出ると、東の空に動かない薄い雲が真っ赤に燃えていました。北を見ると、黒雲が速いスピードで東に流れ、太郎山には有名な逆さ霧が厚く掛かっていました。逆さ霧は、朝焼けを見ている間に消え去り、梅雨の間の寂しい曇天の空に変わりました。通常、霧は山の下に発生し上昇するものですが、太郎山の逆さ霧は日本海の湿った空気が山頂にぶつかり、上田市側へ滝のように山肌を流れ落ちる現象として知られています。

 太郎山は、中学校の時友人と登って以来、十数回は登っています。山口のリンゴ畑を抜けて、急坂を上りつめると上田市街が一望できます。下り道でカモシカの親子に間近で、出くわしたこともありました。

 百名山を登ろうと思ったわけではありませんが、のんびりブレイクしている時に調べてみると、県外の山では、燧ヶ岳、至仏山、男体山、筑波山、富士山、阿蘇山、霧島山の7峰、県境を含めた県内の山では、雨飾山、苗場山、草津白根、四阿山、浅間山、槍ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳、御嶽山、美ヶ原、霧ヶ峰、蓼科山、悪沢岳、赤石岳、聖岳の15峰で合計22峰でした。

 百名山ではありませんがこれまでに登った主要な山は、県外では雌阿寒岳、樽前山、女峰山、妙義山、長野県の北信では飯縄山、戸隠山、東信では根子岳、太郎山、烏帽子岳、湯ノ丸山、篭ノ登山、独鈷山、鷲が峰、横岳、縞枯山、天狗岳、中信では、燕岳、大天井岳、南信では、荒川岳の合計19峰となっています。

 それぞれの山には、たくさんの思い出が残っています。富士山のご来光と茜色に輝く吊し雲、北アルプス縦走では、槍ヶ岳の頂上に登ってから、大キレットや北穂高岳の絶壁を越えて、奥穂高岳山頂でブロッケン現象を見ました。ブロッケン現象は、反対側にある雲に太陽の光が散乱し、円形の虹のなかに自分の姿が映りました。南アルプス縦走では、黒ユリやライチョウの親子に出会いました。昔の浅間山の噴火口は、空き缶のようになっていましたが、最近の航空写真を見ると、当時より数十メートル空き缶が浮き上がっています。山は危険がともないますが、予期しない自然現象に出会い、心がときめきます。

 「浩然の気を養う」とは、山野を跋渉し、大らかな気持ちになることです。最近は、登山と言うより、自然を友達にして近隣の名の知れていない里山を歩いています。

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ダ・ヴィンチの絵画の旅

 ダ・ヴィンチコードが話題となっています。

 ダ・ヴィンチは、フィレンツェ郊外のヴィンチ村に生まれました。14歳の時にフィレンツェの彫刻家の第一人者ヴェロッキオの工房に入門し、当時、ボッティチェリも学んでいました。

 フィレンツェは、花の都といわれるように美しく、中世の建物がたくさん残っています。宿泊したホテル「メディテラネオ」は、アルノ川のほとりにあり、朝早く『ダヴィデ』像がたつミケランジェロ広場まで、家内と散歩に行きました。登る小道に、たくさんの花が咲いていました。小高い丘のうえから見下ろすフィレンツェの街は、黄色の屋根のドゥオモや教会の尖塔が素晴らしく、別世界のように見えました。

 シニョリー広場にあるウフィッツェ美術館で、ボッティチェリのかの有名な『ヴイーナスの誕生』の絵には圧倒されました。また、ダ・ヴィンチの描いたキリストが生まれたことをマリアに告知する『受胎告知』の絵に見入り、天使の羽は実物のように描かれていました。ダ・ヴィンチコードでは、背景のゆりの花に本来なら聖なるものではない、雄しべが描かれていることを指摘しています。

 その後ダ・ヴィンチは、フィレンツェから北部の都市ミラノへ旅立ちます。ミラノの大聖堂は白大理石で、135本の尖塔が美しく輝いていて、見事でした。ダ・ヴィンチが生きた時代は、封建時代から新しいルネッサンスの時代を迎えようとしていました。ミラノの中心地のカフェやブティクが並ぶガッレリアを抜け、オペラ公演で有名なスカラ座のある広場にでると、大きなモニュメントのダ・ヴィンチの像が上に、下の周辺には何人かの弟子の像が立てられています。慌ただしく次の観光に移動しましたが、こんな場所で、のんびりブレイクしたいと思いました。

 ミラノでは、ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』を見ることができました。『最後の晩餐』は、教会の食堂の壁に2年間かけて描かれました。その後、食堂と厨房の通路を作るため、絵の真ん中の下の部分をうがち扉がつけられたため、キリストの足の周辺が無くなりました。第二次世界大戦で教会は焼失しましたが、幸いなことに描かれている壁のみが焼け残りました。

 『最後の晩餐』は、キリストが処刑される前夜の晩餐で「このなかに裏切り者がいる」と発言したときの驚きの様子が描かれています。壁に残っている絵は、保存状態が悪く、良さが分かりにくくなっていますが、「あの絵は、動作が心の情感を最もよく表しており、最も賞賛に値する」 そうです。ダ・ヴィンチコードでは、本来キリストのすぐ左側の一番良い席は、一番弟子のペテロが描かれるのが一般的ですが、ダ・ヴィンチの絵は、若い女性らしき人の姿が描かれ別の意味があると指摘しています。

 その後、ダ・ヴィンチはフランスへ招かれました。パリのルーブル美術館で、『モナリザ』の前には数人の人だかりが出来ていました。遠くから、『モナリザ』に近づくとモナリザの顔が浮き上がるように微笑んでいました。一瞬錯覚かと自分を疑いました。不思議な体験でもう一度、見たいと思っています。ダ・ヴィンチコードでは、背景の左側と右側の高さが異なっていますが、背景のみ左右を入れ替えると風景が一致すること、モナリザの顔の左半分を隠すと微笑みが、右半分を隠すと悲しみの顔になることや、晩年のダ・ヴィンチの自画像と『モナリザ』の構図が合わせると一致する不思議を指摘していました。

 現地で購入した『最後の晩餐』や『モナリザ』の絵を額に入れて飾っています。一般的過ぎると思っていましたが、人間を描くために約30の死体の解剖をしたり、万能の人として現実に負けることのない強い精神力に、計り知れない恐ろしさを感じています。

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ポンペイのパン屋さん

 ある年、ポンペイのパン屋さんを訪ねました。

 紀元前4000年頃、メソポタミア文明の中心地バビロンで、穀物への細菌と野生酵母による悪戯からパンの製法が、偶然発見されました。バビロンでは、世界最古のオープンが発掘されています。その後、エジプトへ伝えられ、「エジプト人はパンを焼く人」と言われました。さらに、エジプトからギリシャへ伝えられ、紀元前400年頃に製粉工場らしきものが作られました。古代ローマ帝国のイタリアのポンペイに、パン屋さんがあったと聞き、訪ねていきました。

 訪ねたパン屋さんは、ポンペイのほぼ真ん中の中央浴場の近くにありました。パン屋さんの名前は、テレンティウスさんと言いました。飾ってあった肖像画には、白い礼服を身にまといパピルスの巻物を右手に持っているご主人と、隣にいる妻はゆったりとしたポーズで、筆と書き板を手にしていました。このパン屋さんの一家は、裕福で、かなりの教養をもった人々であったことが分かります。

 テレンティウスさんのパン屋には、ロバに引かせたのでしょうか、直径1メートル高さ1.5メートル位の大きな石臼が4基ありました。また、煉瓦積みのパン釜は約2メートル四方の大きなものでした。2万人が住んでいたポンペイには、約30軒のパン屋さんがあったと推定されています。

 当時の食事は、1日2回で、1食目は昼頃でパンと果物程度の簡単なもの、2食目は晩餐で、パン屋さんのような裕福な家庭では卵、オリーブ、きのこ、アスパラガスなどのオードブル、肉か魚のメインディシュ、果物や菓子などのデザートでした。貧しい家は、パンと一品料理でした。

 ポンペイは、火山灰の肥沃な土地に恵まれ、野菜は町の周辺に栽培されました。水はけの良い丘陵地には、パンを作る小麦やブドウ、クルミ、オリーブなどが栽培されていました。動物は、牛、豚、ヒツジなどを飼育し、犬はペットとして、かたつむりの飼育もしていたようです。 

 ポンペイは、イタリアのナポリから約25キロメートルの地にあり、ナポリ港からヴェスヴィオス山が見えます。遺跡は、周囲3キロメートルの塀に囲まれ、63ヘクタールの大きさがあり、現在、年間200万人もの観光客が訪れています。ヴェスヴィオス山は紀元79年に大爆発を起こし、ポンペイの町は、6メートルの火山灰に埋もれ、約2万人の人々が生き埋めになりました。倒れたままの姿での死骸が展示されていました。

 人間は、このような状況で悲惨にくれて、泣き叫ぶものでしょうか。今日のヨーロッパ社会におけるキリスト教の影響は、図りしれません。ある人は神様に手をあわせ、心穏やかに火山灰に埋もれ、ある人は、予期せぬ運命と諦めて座り続けたかもしれません。

 

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オーストリアの国境で考えたこと

 ハンガリーのブタペストからウィーンへ、高速道路をバスで移動していました。

 ブタペストでは、鎖橋、ブダの王宮、マーチャーシ教会、国立博物館、マーケットなどを観光しましたが、日本のほとんどの人が知らない観光地です。帰ってから「どこへ行ってきたの」と聞かれましたが、話が弾みませんでした。自分にとっては、このような行くはずのないと思っていた町を一人で散策できたことが新鮮で、思い出に残っています。

 ハンガリーは、第二次世界大戦でソ連に占領され、社会主義国となりました。その後、自由主義を求めて反ソ連暴動が起こりましたが、ソ連軍の戦車などにより弾圧され、数千人の死傷者がでた、この事件を「ハンガリー動乱」と言っています。その後、1989年に自由を勝ち取りました。

 ハンガリーの高速道路を観光バスで、100キロメートル走り続けても、荒涼とした大平原が広がっているだけでした。推測ですが社会主義時代の単純な発想から、ハンガリーの農地は、起伏のある土地を画一的に、全て平らにしてしまったのではないかと思いました。また、遠くに住宅らしき建物群が見えましたが、国家計画により個人生活から集団生活に変えさせられたのでしょうか。

 国境を過ぎて資本主義国のオーストリアに入ると、外の風景が全く変わり、美しい野原やなだらかな丘陵に広がる小麦畑、時々、緑の木々や野鳥の姿も見えて、まさに、心躍る気持ちになりました。オーストラリアの高速道路のガードレールは幅広の鉄製で、きれいに設置されていましたが、ハンガリーのガードレールは、木の棒と鉄線で作られていました。 

 ハンガリーに入る前、チェコのプラハで、プラハ城、聖ヴィート教会、カレル橋、旧市庁舎などの観光をしました。自由時間に、一人カフェで生ビールを飲みました。そのうまいこと、うまいこと、最高でした。チェコのビールは、ピルスナービールで、約1リットルのジョッキ一杯が100円程度と安く、チェコ人は一人当たり年間160リットルを消費し、世界一だそうです。チェコもハンガリーと同じくソ連に占領され、「プラハの春」という自由化の兆しがありましたが、ソ連軍に弾圧されました。

 ハンガリーとチェコなど東欧の8ヶ国は、ソ連に占領され、社会主義国となり、苦難の歴史を経て、現在に至っています。20世紀後半は、資本主義と社会主義の対立の時代でした。戦後まもなくの日本人の若者は、大部分が資本主義体制は崩壊し、社会主義や共産主義の時代が来ると信じていました。とくに、1960年の安保闘争の頃は、ストライキやデモがくり返され、社会は騒然としていました。私は、「日和見」でしたが、日和見であることが、逆に生きることに大変な時代でもありました。

 若者は、新しい時代を開く原動力となってきましたが、この事実は、「逆も真なり」と言うことができるのでしょうか。

 

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ユーロスターで考えたこと

ロンドンで牛肉を食べたことが、気になっていました。 

 夜、ホテルに向かうバスの中から、ロンドンの中心部の建物群を見て、これがヨーロッパだと感動しました。観光では、セントポール大聖堂、タワーブリッジ、ロンドン塔、バッキンガム宮殿、ウェストミンスター寺院、テムズ河畔に立って国会議事堂のビッグ・ベンの鐘の音を聞いたことが印象に残っています。

 ロンドンからパリの間は、直通のユーロスターという新幹線が、約3時間で走っています。イギリスの電車は、時刻遅れが当たり前だそうです。そんな感じで、ロンドンをゆっくりと出発し、鈍行のように走りはじめました。ドーバー海峡までのイギリスの風景は、垣根に囲まれた牧場にヒツジや牛が群れ、緑豊かな農村の風景でした。中学の教科書で習った「囲い込み」という言葉通りの風景です。また、生態系(エコロジー)という言葉は、イギリスから発祥したと言われています。

 ドーバートンネルを約30分でぬけフランスに入ると、それまでゆっくりと走っていた列車は、約300キロメートルという超スピードにかわり、広大な農地のなかを走り始めました。この間、自分の席に座ることなく、デッキから外を見続けました。窓から見る景色は、教会を囲む農家群や限りなく続く農地が矢のように走り去ります。そして、約3時間の風景に見飽きることがありませんでした。このようなフランスの素晴らしい農村風景は、農業が盛んであるからこそ、生まれると感じました。フランスは、農業大国です。

 当時のイギリスでは、BSEが大発生し、多数の牛が処分され、大きな社会問題となっていました。BSE(牛海綿状脳症)は、当初「狂牛病」と呼ばれ、脳みそがスポンジ状となり、死に至る病気で、その後、人間にも伝染し死亡することが明らかとなりました。この時期、イギリスのBSEの大発生によりイギリス人はもちろんのこと、フランス人の肉好きな人の約半数が肉を食べなくなったそうです。

 牧場でのんびりと草を食べて育っていたと思っていたはずの牛は、ヒツジの病気の死骸を砕いて飼料にしたため、BSEが発生したのです。この旅行で、BSEの情報を持っていましたが、せっかくヨーロッパへ来て、おいしい肉を口にしないことはないと思い、ステーキを食べました。車中、風景を見ながらヨーロッパの有機農業のことを考えていると、ステーキを食べたことが気になり始めました。

 その後、日本に帰り、BSEの発生に大きな関心を持ち続けました。アメリカ同時多発テロの発生直後、日本でのBSEの突然の発生に戸惑い、しばらく、誰もが牛肉を食べなくなる時期がありました。日本でのBSEは、終息に向かいつつあります。現在、アメリカのBSE発生による牛肉の輸入再開の可否が大きな問題となっています。

 ユーロスターの電車の中で考えた食の安全が、このような大きな世界への波紋となることは予測できませんでした。

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富士山でブレイク

 富士山は、日本一の美しい山である。しかし、新聞報道で見る富士山の噴火想定写真は、生半可のものではない。

 この冬、自家用車で富士五湖をめぐった。山中湖に朝7時に到着し、忍野八海、浅間神社、河口湖、富岳風穴、青木ヶ原樹海、西湖、本栖湖から精進湖へと美しい風景を堪能したが、いずれの場所からも、富士山は雲にかかり見えなかった。昼食をすませた後、精進湖畔にある山田ホテル1階の露天風呂に入っていると、次第に雲が上がり、正面間近に青い富士山の雄姿が現れ、旅の疲れが一気に吹き飛んだ。

 何年か前、バスツァーで友人と富士山に登った。朝4時、東の雲海のかなたが赤みを帯びてきた。じっと見ている地球の自転はゆっくりである。目の前は、崩落している富士山の急激な山肌、その眼下には、山中湖と河口湖を含む壮大な山麓が次第に浮き上がってくる。さらに奥には、薄墨で描いたような幾重にも重なる山梨県の山々が見え始める。あちこちで歓声があがり、快晴に恵まれたすばらしいご来光であった。この日は、約1万人の登山者があり、帰りの急激なジグザグ道は、人の波に押され、流れ落ちていくようであった。

 平安時代の菅原孝標女(たかすえのむすめ)が書いた『更級日記』には、富士山の様子が「山のいただきのすこし平らぎたるより、けぶりはたちのぼる。夕暮れは、火のもえ立つも見ゆ」と記す。江戸時代の新井白石の『折りたく柴の記』では、「地震ひ、雷の声す、白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ」と、富士山は奈良時代以降、10回の噴火をくり返してきた。

 浅間山の噴煙に見慣れていたが、九州を旅したとき、阿蘇山の突然の大噴火を目の前に見て、足のすくむ思いであった。同行したパラグアィ人は、これまでに噴火を見たことがなく、地面が火を噴くという現実に、精神的なおおきな衝撃を受けていた。日本列島には、83個の活火山があり、この狭い日本列島に世界中の火山の10%がひしめいている。

 これまで、突然の火山の噴火や、頻発する地震に遭遇することを心配し、恐れてきた。しかし、数百年に一度、数千年に一度起こる自然現象への、備えは必要であるが、無駄な「杞憂」はすまいと、のんびりブレイクで気がついた。

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